小学校から高校まで、日本の学校教育の中で偏差値の洗礼を浴びない子供はほとんどない。そして偏差値に一喜一憂した思い出を持つ大人も少なくない。偏差値が登場したのは、1960年代の中頃。それが受験生の学力を測る「ものさし」、あるいは人々の優劣を示す指標として、またたく間に日本社会に浸透した。受験生にとって恐怖の「偏差値」も 受験指導をする側にとっては、強力な説得力を持つ便利な道具として、50年間、その威力を発揮してきた。しかし、その一方で偏差値遍重教育の元凶として厳しい批判も浴びている。これほど日本人にとって馴染み深い「偏差値」だが、意外にもこの偏差値について、理解と知識を持つ人は少ない。そこで偏差値の生みの親とされる桑田昭三氏に「偏差値」について語っていただいた。
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A: 東京都の教員になって2年目、『志望校判定会議』が開かれた時のことです。進学を志望する生徒一人一人の校内テストの成績と志望校を成績順に印刷した一覧表を前にして、進学係の先生が「この生徒はまずは問題ないでしょう」「この生徒は1ランク下の学校に変更するよう指導すべきでしょう」と、判定結果[ p. 7 ]
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参照文献
岩原 信九郎(1955年)『推計学による新教育統計法』(6版)、日本文化科学社[ p. 10 ]